【第2部】黄金のクレマと機械彫刻の黄金期(1948〜1989年)
1947年、第1部で辿ったガジアのスプリング・ピストン式レバーが9バールを実現し、エスプレッソは「クレマ」という新しい姿を得た。だが、その物理的な実装が文化として根付き、機械が工業デザインの結晶として磨き上げられ、9バールが産業標準として固定されるまでには、なお40年余の歳月を要した。本稿では、1948年のクレマ文化の確立から1989年の機械彫刻黄金期の終焉までを辿る。
クレマ文化の確立とイタリアの戦後復興(1948〜1950年代)
1948年、戦後イタリアが本格的な復興期に入る中、ガジアは前年に取得したスプリング・ピストン式レバー機構の特許を商品化し、クレマを伴うエスプレッソをバールの日常風景として広める出発点を作った[1]。蒸気時代の苦味問題は解消され、9バールという物理的条件は、特権的な技術ではなく庶民の朝の習慣として根を下ろし始める。
イタリアは1950年代に「奇跡の経済成長(economic miracle)」と呼ばれる急速な工業化を経験し、農村から都市への人口流入とともに新しい労働リズムが確立された。労働者たちは出勤前に近所の「mio bar(行きつけのバール)」のカウンターに立ち寄り、一杯のエスプレッソを75リラで一気に飲み干して職場へ向かう、という朝の習慣を共有するようになる[2]。
エスプレッソは飲料を超えて、戦後イタリア社会のリズムを形づくる文化インフラへと変質した。同時に、ガジアのレバー機を扱うバリスタは、ポルタフィルターの装着・粉の押し固め・レバー操作の力加減という三段階の所作を熟練させ、職能としてのバリスタ像が成立する。クレマの厚みと色は、その日の豆と職人の腕を可視化する指標として機能し始めた[3]。
Faema E61と電気ポンプ革命(1961年)
1961年に登場したFaema E61は、エスプレッソ抽出の物理的パラダイムを再び転換させた。レバーを握る職人の腕力に依存していた9バールの圧力生成を、電気ポンプによる定圧抽出に置き換えたのである[4]。バリスタはレバーを引く代わりにスイッチを押すだけで、毎回ぶれない9バールを得られるようになった。
E61は単一の発明ではなく、複数の技術的決定が一台に統合された機械工学の集約点だった。第一に、ボイラー内に組み込まれた熱交換器が、外部給水の冷水を抽出に最適な温度まで瞬時に温めた[5]。第二に、ボイラーを横向きに寝かせ、機械の高さを約56cm(22インチ)まで切り詰めた。第三に、公共給水と直結することで連続抽出を可能にし、混雑時のバールでも止まらない営業を実現した。バリスタは機械の向こう側のお客と目を合わせながら、毎分のように一杯を提供できるようになる。
これは、エスプレッソが「職人の技」から「機械の精度」に主導権を渡した瞬間でもあった。歴史学者の Jonathan Morris(ハートフォードシャー大学現代史教授)は、E61が「エスプレッソにおいて、Mini Cooperが自動車にとってそうであったような存在」だと評している[4]。1960年代を通じて E61はイタリア最売機種となり、街中の小規模バールを支える標準装備となった。
E61で確立された9バール定圧と熱交換器の組み合わせは、現代のエスプレッソマシンの設計思想の基盤となり、特許失効後の1996年以降は事実上の業界標準として広く継承されている[5]。
イタリアン・デザインの黄金期と機械彫刻(1960〜1970年代)
1960〜70年代、エスプレッソマシンはイタリアの工業デザイナーたちの手によって、機械でありながら彫刻とも呼べる美術品の領域へ磨き上げられていった。戦後復興を経たイタリアが「メイド・イン・イタリー」を打ち出していくデザイン産業の隆盛が背景にある[6]。
1960年、工業デザインの巨匠 Joe Colombo(ジョー・コロンボ)が La Cimbali のために手がけた家庭用機「Microcimbali」は、エスプレッソマシンが道具を超えて生活空間の調度品となりうることを示した[7]。。続く同社の業務用機 Pitagora は Achille・Pier Giacomo Castiglioni 兄弟によるデザインで、簡素な構成と複数の色展開を備え、1962年にイタリア最高峰のデザイン賞 Compasso d'Oro(コンパッソ・ドーロ/黄金のコンパス)を受賞している。エスプレッソマシン唯一の受賞例であり、工業デザイン史の中にエスプレッソが正式に登録された瞬間だった。
1969年には Faema が Prestige / Metodo を発表し、Makrolon® 樹脂による着脱式モジュラーパネルを採用した。色のついた樹脂パネルが簡単に取り外せる構造は、機械を「日々着替えるオブジェ」へと変容させた。1971年には Rodolfo Bonetto による La Cimbali M15 が登場し、面構成と曲線処理においてさらに彫刻性を高めている[8]。
この時代のマシンに共通するのは、ステンレスのミラー仕上げ、クロームメッキの輝き、自動車やジュークボックスから流れ込んだ流線美、ハニカム加工された板金の質感だった。同時に、1961年発表の La Pavoni Europiccola が、レバー機の小型化によって家庭用機の系譜を一段階押し広げ、バールの主役だった機械はデザインを通じて新しい舞台へ展開した。
La Marzocco GS と次世代への布石(1970〜1989年)
1970年、フィレンツェのメーカー La Marzocco が発表した GS(gruppo saturo=飽和グループ)は、E61の確立した9バール定圧の上に「温度安定性」という新しい競争軸を置いた[9]。GSは商業用として初めて二重ボイラーを採用し、抽出用と蒸気生成用のボイラーを物理的に分離することで、ミルクをスチームしている最中でも抽出温度が落ちない構造を実現した。
さらに革新的だったのは、グループヘッドをボイラーに直接溶接した「飽和グループ」の構造である。E61系が熱交換器を通じて湯温を動的に補正する方式だったのに対し、GSではグループヘッド自体がボイラー温度に飽和することで、何杯連続して抽出してもブレない湯温を構造的に保証した。この設計は現在の La Marzocco 全モデルの基盤として今も継承されている。
代表・内藤豪が現場で長年扱ってきたのは、E61直系ではなく同時期のLa Marzocco飽和グループ機種である。両者の操作性に大きな差はないが、温度の作り方の哲学が異なる。内藤豪はE61を「涼しい日陰と暖かい日向を行き来して、常に適温に整える」ような動的平衡だと例え、GS系の飽和グループは「エアコンの効いたずっと適温の部屋にいる」状態を構造そのもので維持し続けるマシンだと語る。動的平衡ゆえにE61の抽出にはわずかな揺らぎが残り、結果として一杯ごとの味にブレが生じる。エアコンの比喩通り、運用コストにも明らかな差が出る。プロの業務用現場でGSが標準として選ばれるのはこの再現性と思想ゆえだが、飽和グループはマルチボイラー構成を必須とするため必然的に高額機となり、家庭で導入するにはオーバースペックの領域に入る。
GSは発祥地のトスカーナ州で急速に普及し、地域の労働者社交場「Casa del Popolo(人民の家)」の多くで現役機として残り続けた[10]。1977年にはガジアが日本人デザイナー Makio Hasuike(蓮池 槙生)による「Baby Gaggia」を発売し、世界初の量産型家庭用エスプレッソマシンとして、バールの専有物だったエスプレッソが個人の台所にも本格的に降りていく流れを決定づけた。
そして1980年代後半、機械式の頂点を迎えたエスプレッソマシンに、新しい潮流が静かに芽吹き始めた。マイクロプロセッサーによる温度制御、PID(比例・積分・微分)制御、抽出量を電子計測する volumetric system(容積計測式)。これらは黄金期の終焉ではなく、次の40年「データの海」へとエスプレッソを連れていく布石だった。
まとめ
1948年のクレマ文化の確立から1961年Faema E61の電気ポンプ革命、1960〜70年代の機械彫刻の黄金期、そして1970年La Marzocco GSの温度安定性とその完成形まで。エスプレッソマシン史の40年は、機械が文化を作り、文化が機械を磨き、両者が螺旋を描いて成熟した時代だった。物理学・工業デザイン・社会経済が同時に交差した、コーヒー史において稀有な濃密さを持つ時間でもある。次回(第3部)では、この機械式の頂点に芽生えた電子制御の萌芽から、データロガーとセンシングが切り拓く現代へ、エスプレッソの旅は続いていく。
よくある質問
Faema E61の何が「革命」だったのですか?
1961年に登場したE61は、レバーを引く職人の腕力に依存していた9バール抽出を、電気ポンプによる定圧抽出に置き換えた最初の商業機である。これによって毎杯の圧力が一定となり、エスプレッソは「職人の技」から「機械の精度」へ主導権を移した。横置きボイラー、熱交換器、公共給水との連続接続といった複数の革新が一台に統合された機械工学の到達点である。
La Marzocco GSはほかのマシンと何が違ったのですか?
1970年に登場したGSは、商業用として初めて二重ボイラー(抽出用と蒸気用を分離)を採用し、さらにグループヘッドをボイラーに直接溶接する「飽和グループ(gruppo saturo)」という独自構造を実用化した。これにより何杯連続抽出しても湯温が安定する性能を実現し、現在のLa Marzocco全モデルの基盤として継承されている。
1980年代後半にエスプレッソマシンは何が変わり始めたのですか?
1980年代後半、純機械式の頂点に達したエスプレッソマシンに、マイクロプロセッサーによる温度制御、PID制御、抽出量を電子計測する volumetric system(容積計測式)といった電子制御技術が芽吹き始めた。これらは1990年代以降のサードウェーブとデータ可視化の時代を準備する布石となった。
1961年にFaema E61が確立した9バール定圧と、1970年にLa Marzocco GSが提示した温度安定性は、現代のエスプレッソマシン設計の基本要件として今も継承されている。Espresso Refill が100mlの瓶に詰めているのは、これらの遺産の上で抽出された一杯の原液である。代表・内藤豪が独自のプロセスで設計したこの抽出液は、注ぐだけで——あるいは氷の上に落とすだけで——半世紀かけて磨き上げられた機械の蓄積を、家庭でもバーでも一切の道具なく取り出すことができる。Yellow、Green、Blue、Red、それぞれ異なる豆の個性を持つ4本。機械彫刻の黄金期が紡いだ40年の物語の、現代における ER の解答である。
出典
- The History of Gaggia: Pioneers of Modern Espresso Machines - Espresso Outlet
- The Long History of the Espresso Machine - Smithsonian Magazine
- Coffee use in Italy at the end of the 19th century - Accademia del caffè espresso
- The Faema E61 Espresso Machine - Perspectives on History (Jonathan Morris, AHA)
- E-61 - Wikipedia
- Discovering The History of The Espresso Machine at MUMAC, Italy - Perfect Daily Grind
- La Cimbali 'Microcimbali' - ana/k/ronismo
- Visiting the MUMAC Espresso Machine Museum: Part Two - Barista Magazine
- History of the La Marzocco GS - La Marzocco USA
- La Marzocco - Wikipedia