モカポットはなぜ美術館に入ったのか——家で飲むための器の、その後
エスプレッソは、店で飲むものでした。家でも同じものを飲みたい。その欲求から生まれたのがモカポットです。それが1933年。
そこから90年のあいだに、この器は一度、美術品になっています。
ただ、いま毎朝使っているのは、その美術館を通り抜けて、また道具のほうへ戻ってきた一台でした。
家で飲みたい、から始まった
1901年にルイジ・ベゼラが特許を出して以来、エスプレッソはバールの機械で淹れるものでした。大きくて、高価で、専門の職人が動かす。家に置ける道具ではありません。
ビアレッティの売り文句が、そこに正面から答えています。
in casa un espresso come al bar——家で、バールと同じエスプレッソを。
この順番からわかる通り、先に食文化がありました。エスプレッソを飲む習慣があって、それを家へ持ち込むために器具が生まれた。逆ではありません。この器がどこから来たのかは別の記事に書いたので、ここでは先を追います。
ビアレッティは、同じ形を作り続けた
1933年以降、ビアレッティがやってきたことは単純です。同じ形の商品を、条件を変えて作り続けてきました。
サイズは1杯取りから12杯取りまで。材質はアルミのほかにステンレスのヴィーナスやムーサがあって、こちらはIH調理器にも載ります。ブリッカという機種には特殊なバルブが付いていて、ふつうのモカ・エキスプレスのほぼ2倍の濃さで出てきます。ただしこちらは2杯取りと4杯取りだけで、IHには対応しません。
派生はいくつもありますが、真ん中を通っている原理は変わっていません。下の湯が蒸気の圧力で押し上げられ、粉を通って上へ出てくる。1933年のままです。
そして、この量産がイタリアの家庭にモカポットを行き渡らせました。市場を作ったのはこちらです。

出典:撮影 Shisma(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 4.0
モカポットは、ビアレッティのもので機能としては完成していると思います。このあとに出てくるのは、完成した道具に何ができるか、という話です。
市場が育ったあとに、アレッシが来た
1970年代の後半、アレッサンドロ・メンディーニがアレッシのアートディレクターに就きます。
ここから、アレッシはデザイナーにモカポットを作らせ始めました。最初の実りが、リチャード・サッパーの 9090(1979年)です。以後40年、作り手が入れ替わり続けます。
アルド・ロッシの ラ・コニカ(1984年)と ラ・クーポラ(1988年)。ロッシは建築家で、単純な幾何学の形をそのまま食卓に置きました。メンディーニ自身の モカ・アレッシ。ステファノ・ジョヴァンノーニとグイド・ヴェントゥリーニが キングコング という名前で組んでいた時期の ミックス・イタリア(1993年)。彼らをアレッシに引き入れたのもメンディーニです。リカルド・ダリージがアレッシのために作り直したのは、モカポットではなくナポリのクックマのほうでした(1988年)。これはいまモントリオール美術館に入っています。マリオ・トリマルキの オッシディアーナ(2014年)は黒曜石から名前を取っていて、2016年にコンパッソ・ドーロを受けました。マイケル・アナスタシアデスの メンヒル は立石から形を起こしたもの。今年はフィリップ・マルアンの ヴィーテ が出ました。2つの半分をねじって留める、あの動作そのものを形にしています。

出典:撮影 Rote Fingur(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 3.0

出典:撮影 Daderot(Wikimedia Commons)/CC0
ジョン・マエダというデザイナーが、2009年にこう書いています。
Design is a solution to a problem. Art is a question to a problem.
デザインは問題への答えであり、アートは問題への問いである。マエダは『シンプリシティの法則』という本を書いた人でもあります。
この言葉を借りると、アレッシのモカポットの多くはアートのほうにあります。台所の道具はこの形でなければいけないのか、と問い直している。黒曜石でも、立石でも、ねじでもいい。問いのほうを作っている。
ただし、2台だけは違った
9090 と、2019年のニューモカ。この2台は問題を提起していません。解いています。
ビアレッティの原型をよく見ると、胴は角張っているのに、つまみと取っ手だけが丸いんです。当時の裕福な家庭にあった銀のコーヒーセットに似せた名残で、様式が混じっている。
その丸みを外して、機能のほうへ寄せたのがこの2台でした。
ここから先は、実際に使った話になります。私が持っていたのはビアレッティのダーマ、それからアレッシの 9090、そしていまのニューモカ。この順番です。
9090 が解いたのは「回す手間」だった
9090 は、アレッシが初めて作ったキッチン用品で、アレッシが初めて取ったコンパッソ・ドーロでもあります。コンパッソ・ドーロは1954年に始まったイタリア最古の工業デザイン賞で、デザイン界のノーベル賞とも呼ばれます。受賞作を集めた歴史的コレクションは、イタリアの国家文化遺産に指定されています。9090 は同じ1979年にニューヨーク近代美術館へも収蔵されました。作るのに120以上の工程がかかるそうです。
18-10ステンレスの鏡面仕上げ。すそが広がった底面は熱を受ける面積を稼ぐためで、鋳鉄のハンドルは火にかけても焼けません。注ぎ口は液だれしない形になっている。

出典:撮影 Oldski(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 4.0
そしてレバーロックです。アレッシの説明には、こう書かれています。
ねじ込み式ロックの曖昧な不便さを解決するために設計された
毎回ねじを回して締めるのは面倒だし、どこまで締まったのか分かりにくい。だからレバーで一動作にした。よくできた話です。
ところが私は、そのレバーが理由でこれを手放しました。
コールドプレインフュージョンでは、粉をエスプレッソ並みに細かく挽いて、フィルターに紙を一枚噛ませます。目が詰まった状態で抽出することになる。すると、レバー式は上から押し込んでいるだけなので、ボイラーとポットのあいだから圧が漏れます。ねじ込み式は横方向の力がかからないと緩まないので、そこから逃げません。
設計が悪いのではないです。1979年に、この淹れ方は存在していませんでした。サッパーが解いた問題と、40年後に私が抱えた問題が、違っていただけです。私の淹れ方を前提にすると、9090 は出番をなくしました。
道具としての出来は、いまでも良いと思っています。鏡面は傷が付きにくいし、内部のフィルターまでステンレスで堅牢です。中古市場でも値が落ちません。それでも私は、多くのものを持つのが好きではないので、売りました。
デ・ルッキが解いたのは、味だった
アレッシのモカポットで、もうひとつ機能を解きにいった例があります。ミケーレ・デ・ルッキの プルチーナ(2015年)。イリーとの共同開発です。
モカポットの終盤には、湯が一気に噴き上がる瞬間があります。ストロンボリ効果と呼ばれるもので、ここで出てくる液体が焦げたような苦みを持ち込む。プルチーナはボイラーの内部形状を工夫して、この段階に入る前に抽出が止まるようにしてあります。注ぎ口がV字にとがっているのは、液だれを切るためで、ひよこのくちばしから プルチーナ という名前が来ています。
これは、私が手順で解こうとしている問題と同じものです。
冷たい水で粉を湿らせ、最も弱い火で通し、注ぎ口の溝まで上がったところで火から下ろし、濡らしたダスターでボイラーを包む。全部、粉に余計な熱を与えないための工程です。デ・ルッキとイリーは、同じことをボイラーの形でやりました。器具の側で解くか、淹れ方で解くか。入口が違うだけで、向かっている先は同じです。
簡素になったのに、機能が上がった
2019年、アルベルト・アレッシがデイビッド・チッパーフィールドに、祖父の器を作り直してほしいと依頼します。アルベルトの母方の祖父が、アルフォンソ・ビアレッティです。
チッパーフィールドは、新しいものを発明する意図はなかったと語っています。やりたかったのは「この物の歴史を、もう一度濃くすること」。守りたかったのは素材と、音と、角の本質的な形だ、とも。
出来上がったニューモカは、8面が11面になりました。蓋は平らで、その上にカップを置いて温められます。そして、つまみと取っ手。オリジナルで丸かったあの部分が、無機質な灰色の角形になっています。
見た目は、明らかに簡素になりました。
ただ、使ってみると機能が上がっているんです。取っ手の角度がまず違う。オリジナルは角度がつきすぎていて火に近く、溶けやすかった。ニューモカはそこが直っています。上のつまみは片手で扱えます。アルミには厚みがあって、持つと手に重さが返ってくる。ボイラーのアールの角度も変わっています。
デジタル化して簡素になった道具なら、いくらでもあります。ボタンを画面の中に入れてしまえば、表からは消える。
ただ、これはそういう簡素化ではありません。90年のあいだイタリアの家庭で使われてきた、完全にアナログな調理器具です。中の仕組みは変わっていない。それを簡素にして、そのうえ機能を上げている。こういうプロダクトは、かなりまれだと思います。
もうひとつ、書いておきたいことがあります。
私はデザイナーではないので、偉そうに言える立場ではありません。ただ、8面を11面にしたこと自体に感銘を受けました。
歴史をもう一度濃くする、というコンセプトを掲げながら、90年守られてきた8角形のほうは変えている。歴史を扱うなら、8という数字は守ってしまいがちなところです。覚えやすいし、記号として強い。それをやめている。結果が良ければ数字にはこだわらなくていい、という判断に見えます。
そのうえで、出来上がったものは明らかにビアレッティのモカをデフォルメした形をしています。面の数は変わったのに、何の器なのかは一目で分かる。
チッパーフィールドが各国で建てたものを見てから、もう一度この器を見ると、ここに入っている仕事の量が違って見えてきます。
なぜこういう仕事ができたのか。調べていて、日本の話に行き当たりました。
チッパーフィールドは初期のキャリアで、日本に3棟の建物を建てています。そのうち京都のトヨタ・ショールームでは、安藤忠雄の事務所が協力していました。本人がこう語っています。
伝統的な日本建築の空間の考え方を、安藤がいかにモダニズムへ適応させたか。日本の歴史への関心と、建築の物理的な存在感を通して、モダニズムそのものを再び生き返らせたか。それに強く惹かれた
そして、安藤から吸収した働き方として挙げているのが、ものごとを単純にし、普通のものを特別にするという姿勢でした。
モカポットを作り直す仕事の説明として、これ以上のものはないと思います。
直火のまま、9気圧に届いた一台
もうひとつ、まったく別の方向から作り直された例があります。
9Barista。作ったのはウィリアム・プレイフォードという人で、ケンブリッジ大学のホイットル研究所でジェットエンジンの熱力学を研究して博士を取っています。昼は研究室、夜は庭の小屋で、自分のラ・パヴォーニの熱の動きを測っていたそうです。
特許になっているのは、圧力の違う2つの飽和蒸気ボイラーを使う仕組みです。片方が圧力を作り、もう片方が熱交換器を通して抽出温度を決める。
順を追うとこうなります。高圧側のボイラーを179℃まで上げると、内部が9気圧になる。この湯は熱すぎるので、中間のコイルを通しながら100℃まで冷やす。圧力は保ったままです。それでもまだ熱いので、上部の冷却フィンでさらに落として、94℃で粉を通す。
圧力を保ったまま、温度だけを三段階で下げている。ポンプも電子部品もありません。直火のままで、エスプレッソマシンと同じ条件に届いています。
私はこれを持っていないので、使い心地は書けません。ただ仕組みを読んで思ったのは、ここでもやっていることは温度を下げることだ、ということでした。デ・ルッキはボイラーの形で、プレイフォードは熱力学で、私は手順で。同じところに向かっています。
完成形の、その先
ダーマ、9090、ニューモカ。3台使って、いま手元にあるのはニューモカだけです。あとは売りました。
ビアレッティが機能を完成させ、アレッシがそれを美術品にして、チッパーフィールドがもう一度道具に戻した。私にとって、ニューモカは完璧です。完成していたものを、さらに削って、それでも良くなっている。
今年、ヴィーテが出ました。90年前に完成した器に、まだ手が入り続けています。
よくあるご質問
Q. アレッシのモカポットにはどんな種類がありますか?
リチャード・サッパーの 9090(1979年)、アルド・ロッシの ラ・コニカ(1984年)と ラ・クーポラ(1988年)、アレッサンドロ・メンディーニの モカ・アレッシ、キングコング(ステファノ・ジョヴァンノーニとグイド・ヴェントゥリーニ)の ミックス・イタリア(1993年)、マリオ・トリマルキの オッシディアーナ(2014年)、ミケーレ・デ・ルッキの プルチーナ(2015年)、デイビッド・チッパーフィールドの ニューモカ(2019年)、マイケル・アナスタシアデスの メンヒル、フィリップ・マルアンの ヴィーテ(2026年)などがあります。すべて別のデザイナーによるものです。
Q. 9Barista は本当に9気圧が出るのですか?
出ます。圧力の違う2つの飽和蒸気ボイラーを使う仕組みで、高圧側を179℃まで上げて9気圧を作り、熱交換器と冷却フィンで94℃まで温度だけを下げてから抽出します。ポンプや電子部品は使っていません。
Q. アレッシとビアレッティはどういう関係ですか?
血縁です。アレッシ社の3代目アルベルト・アレッシの母方の祖父が、モカ・エキスプレスのアルフォンソ・ビアレッティにあたります。
参照元
- Alessi: 9090 Espresso Coffee Maker Designed By Richard Sapper
- Alessi: Pulcina Espresso Coffee Maker By Michele De Lucchi
- designboom: david chipperfield designs the new moka coffee maker for alessi(2019-04-01)
- David Chipperfield Architects: Straight Lines(Wish Magazine / The Australian・Luke Slattery・2017-04-08)
- 9Barista: How the 9Barista Mk.2 Works
- Mario Trimarchi Design: Ossidiana, coffee maker for Alessi
- John Maeda(2009年の投稿): Design is a solution to a problem. Art is a question to a problem.
この記事に合うラベル
イエローラベル 100ml最も軽やかな味わい。エチオピア・ニカラグア・コスタリカなど、ロットごとに産地を選んだ、フローラルな香りを朝に。¥1,620 税込・受注生産
90年ぶん、道具を作り直してきた人たちの話でした。こちらは、淹れておいて注ぐという別の形です。すべての商品を見る